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Soul of Meiji 明治のこころ~モースが見た庶民のくらし

先日、両国の江戸東京博物館で行われている
Soul of Meiji 明治のこころ~モースが見た庶民のくらし」を見て来ました。

モースさんはアメリカの生物学者で、日本に貴重な貝がいるという事で、
何度も日本を訪れた方です。
明治の日本の文化、庶民の暮らしや工芸・芸術に深く興味を持ち、
様々な日常品から芸術品を収集されてたそうです。


貴重な美術品はともかくとして、「日常品」だからこそ普通の日本人では、
保存するという事をしない分、大変貴重な日常品が外国の方の手によって保存され、
今日になって感動をもたらすという事自体に感動しました。

そこにはまさに、柳宗悦の民芸運動にある「日常の用の美」がありました。
ちなみに柳宗悦はバタフライツールで有名な柳宗理の実父です。


柳宗悦の民芸運動は北大路魯山人に酷評されていたそうですが、
私は民芸は芸術と同様に感じる事が多いです。
今回の展示も手にした事もないような日常品の展示品ばかりでしたが
何故かしっくりと来るような馴染みを感じる事が出来ます。

そういえば、北大路魯山人という人にも興味があり買った本が、
読み途中だった事も思い出しました。
改めて読み直してみようと思います。

ヨーロッパでは、18世紀後半に産業革命後に大量生産された劣悪品が
蔓延した事をきっかけにして、ウィリアム・モリスがアーツアンドクラフトという
手仕事を見直す運動を起こしています。

私はアーツアンドクラフト運動や民芸運動が共通していた視点は、
作り手が主役であるという事だと感じています。

今回、アメリカ人のモースさんの視点で、明治の日本人の生活を振り返りながら見ていると、それぞれの手に職を持った極々普通の人達が芸術的なものづくりをし、農業や様々な商店を営む姿は、まさにこの普通の人達ひとりひとりが社会の主役であったという事を強く感じました。
この日本の日常が芸術を生むような社会や文化を作り上げて来た大きな要因の一つは
平和であったのでは無いかと思います。

戦国の時代が終わり、関ヶ原の戦い1600年から明治維新で戦争はあったものの無血開城、そして1984年の日清戦争までの400年近くも民衆を巻き込んでの戦争をしていません。

そのような国が他にもあるのかは知りませんが、
400年という平和な時間は、民衆が高度な文化を育むのに十分な時間であったのではないでしょうか。


今回の展示会には、それぞれの身の丈に合った仕事を一生懸命に果たした姿がありました。
それはまさに、「一隅を照らす」仕事であり、生活です。

人は何か大きな野望や夢を実現する事が幸せのように思いがちです。

しかし、この展示会で見た写真に映った明治の主役の表情は、
社会の一員として、一隅を照らし、精一杯生きる事こそが幸せなんだよと
教えてくれているような気がしました。